poweredbyspirit’s diary

人生そのものがプロジェクト!

麻賀多神社参拝

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本日は成田市内にある麻賀多神社に参拝してきました。

麻賀多神社は二箇所あり、最初は北側にある神社にたどり着きました。

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下の写真は古墳の石櫃をお祀りしているようで、物凄い強烈な気を感じてクラーッとしました。
正真正銘のパワースポットですね。

次に、南側の麻賀多神社に移動しました。
日月神示で一躍有名になった神社です。

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下の写真が天の日津久神社です。
樹齢1300年といわれる大杉には、達磨大師のような顔が浮き出していました。

素晴らしいパワースポットですね。
ありがとうございます。

魂の人になろう!

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魂の人になろう!

生きている時間には限りがあります。

1日をボンヤリ過ごすことは、1ヶ月の大半をボンヤリ過ごすことになり、それは1年を通じて何のメリハリもない日々を過ごすことになるでしょう。

いつもいつも気を張りつめて毎日を懸命に過ごすということを薦めているのではなく、

自分自身の本質と向き合って、自分自身の使命を感じることで、使命をまっとうしたい魂のままに生きてみるということです。

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使命なんて分からないという人たちへ

自分自身の胸の奥のほうを覗いてみてください。
奥の方へ行くと必ず光と出会えます。その光と向き合ってみてください。その光こそあなたの本質です。

スピリチュアルな世界とつながろうと言っているのではありません。空想や瞑想は好きな人だけがやればいいですね。

そんなことより、自分自身の魂と向き合う。そして、試行錯誤しながら、魂の求める生き方をしたいものです。

魂の人は、その生き方が多くの人の心に響きます。

ありがとうございます。

マインドを強くするために!

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精神力を鍛えるためのサイトがこんなにたくさんあるんだ!と驚くほどたくさんありますね。

そして、それぞれのサイトの内容を学習させていただきました。良い勉強になりました。ありがとうございます。

ということは、それだけ自信がないという人たちがそれほど多いということでしょうが、逆に自信に満ち溢れている人がどれほどいるのでしょうか?

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ところで、次のような人たちがいます。
・自分自身を守ろうとしない人
・私利私欲とは無縁の人
・なにごとも他人事のような意識の人

こういう人たちは、一喜一憂することがなく、感情の起伏も見えず、普段からなにを考えているのかがわかりにくい人たちですよね。

果たして、このような人たちは、物事に動じないように思えるのですが、内心も外見と同じように起伏がないのでしょうか?

人によるとは思いますが、こう見える人たちもポーカーフェイスの場合が多いのではないかと思いますが、ただ、こういう人たちは、決して敵にはしたくない人たちであることは間違いないですね。

もし、外見は喜怒哀楽に見えても、内心はポーカーフェイスという人がいれば、その人は最強と言えるかもしれませんね。

ゲームを楽しむ感覚で、人生の様々な場面を楽しむことができれば、相当強靭なマインドに成長していると言えそうです。

辛い状況に陥ったときに、辛いと思うより、これからどうなるかを楽しむ余裕があれば、最強のマインドの持ち主と言えます。

ただし、ぞもそもマイナス感情のゾーンに突入したときに、その状況をゲーム感覚で楽しめるようであれば、それだけで既に強靭なマインドの持ち主と言えますが(笑)

人生は、いろいろな試練を与えられながら、精神力を鍛え、魂を成長させることが目的なのです。

ありがとうございます。

身体への向き合い方

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この世では肉体は借り物でしかなく、私たちの本体は魂だといわれることが多くなっていると思えます。

このブログのテーマでもある、頭脳と心と魂の関係にはいずれ言及することになると考えていますが、今回は、借り物とされる身体への向き合い方について考えてみましょう。

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もし、何らかの原因で突然あなたの両眼が失明してしまったら、あなたならどうしますか?

昨日まで外界が見えていたのに、今日から突然盲目になってしまったと想像してみてください。ちなみに、私の知人でそうなった方がいます。

私はその知人と初めてお会いした後に、自宅で目隠しをして行動してみたことがあります。結果的に1時間ほどでギブアップしました。

しかし、本当に盲目になってしまった知人は、ギブアップして目隠しを外すということで元の視界が戻るわけではありません。

その知人は、長い間怖くて外出ができないと言っていましたが、そうなってしまうのは無理もなく、しかし、まだ若かった彼は、自宅から出ないでは社会人として生きることを諦めず、一歩ずつ訓練を始めたのです。

身体が借り物だと言っている方々は、もしご自分にそういう悲劇に襲われたらどう考え、どう行動するのでしょうか?

身体はこの世で生活するために、物理的な手段として神様から与えられ、神様がその身体の一部を奪い去ってでも、強い試練を与えられることになったという「理由」はともかく、

引き続き、この世で試練に向かってチャレンジすることになるのです。

しかも、チャレンジしようという意欲と行動にはさらに強い恐怖との精神的な闘いが控えています。

実は、身体はやはりこの世で生活するための手段に過ぎず、試練の目的は精神的な部分にあるのでしょうね。

自分の精神を成長させるための「道具」として、身体は可能な限りメンテナンスをしておかないといけませんが、それ以上に、いつどんなことがあっても迅速に対処するための強靭な精神力を鍛え上げる必要がありそうです。

ありがとうございます。

明鏡止水

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水面が波一つなく澄み切っていて、鏡のように月を映している様子のことを明鏡止水と表現します。

私の好きな四字熟語なのですが、この言葉の意味を知ってからというもの、逆に多くの煩悩の存在が顕在化して自分自身を悩ませることになったとも言えます。まるでハムレット状態(笑)

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煩悩とは、あらゆる欲求、欲望、邪念のことなのでいかにも最も人間らしい「スキル」だと言えます。

例えば、学生時代に試合やコンクールがあり、優勝したい!という強い欲求があるから朝夕の厳しい練習を乗り越えることができたのです。

ビジネス社会でも、自分のため、家族のため、会社のため、目標に向かって成果を挙げることに集中し、その結果として収入が増え、多くの人脈ができ、さらなる事業展開が可能になります。

これらは、強い欲求とともに情熱と忍耐力、行動力が必要です。それらを通じて人間関係も育まれます。

しかし、こういう活動の中で、必ず思案することがあり、悩み、葛藤することがあります。また、必要以上の欲求を求めることもあります。煩悩とは実はこの部分を指すのでしょうね。

しかし、この煩悩こそが、その人それぞれの個性をかもし出しているのではないかと思います。

従って、この世で生きているうちに煩悩をなくそうとすることは、生きていながら神様の領域を目指すことになり、人間だからこそ味わえる醍醐味を放棄するのはもったいないとも思えます。

あの世では、煩悩の「コンテンツ」や「純度」に応じた世界が広がっているということですが、おそらく煩悩が全くない世界が神様階級の住む世界なんでしょうね。

何らかの目標や課題の達成に向かっている人たちには、自分自身の意欲、情熱、行動力との闘いがあります。しかし、そこから逃げようとする人たちには、「努力」と「経験値」は加算されないのです。

この世では、楽な道ばかりを選ぶ人たちには、必ず人生のどこかで茨の道がやってきます。一方で、忍耐強く精進を重ねた人たちにはそれなりの果実が与えられます。しかし、果実を手に入れたからといって気を抜いていると元の木阿弥に。

人間は大人になると、自分にとって都合のよいズルい考えが脳裏に浮かぶことがあるものです。
しかし、小さな子供にはそういう考え方はありません。その幼児の心こそが明鏡止水だと言えますね。

いろいろ難しいことを考えずに、幼児の心(赤心といいます)に立ち返って、あらゆる物事を真っ直ぐに見るようにしてみようと考えることにしました。

ありがとうございます。

受け入れる心

私たちの回りに起こるあらゆる出来事について
「絶対、無理!」
ということがあると思います。

私たちは神様ではないので、自分自身の「標準」とか「常識」というモノサシをもっています。


そのモノサシで測れない、あまりにも自分勝手な相手が目の前に現れ、なおかつ相手とは利害関係のある立場であれば、こちらは、最初は我慢していても、限界というものがやってきますよね。

「あの人、どうかしてるよね!」
「世間の常識から完全に外れてしまっている!」
などという憤りの声が聞こえてきそうです。

そんなとき、もし神様がそこにいたなら、そのように常識を逸脱している相手に対して神様ならどう対処するのでしょうか?

・相手に反省を促すための注意を与えるのでしょうか?
・いくら話しても理解できない相手だから無視するのでしょうか?
・人間社会にとって何の益にもならない相手なので虫に変身させるでしょうか?
・すべてを受け入れて、そうかそうかと、邪心なく聞いてあげるのでしょうか?

自分と利害関係がある相手であれば、相手の言い分ばかり聞いていると、結果的に自分が本来ならしなくてもよい損をすることになる場合がありますよね。

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しかし、おそらく神様はすべて相手の言うことを、そうかそうかと受け入れて聞いてあげるのでしょうね。そうでなければ、神様の値打ちが下がってしまいます(笑)


しかし、私たち人間はなかなかそうはいきません。相手の意見に耳を傾けるが、受け入れるのはなかなか難しい。


ときどき、自分は他人に対してどうしてもっと寛容になれないのかと葛藤することがあります。


私はよく親切だとか寛容だとか言われることがありますが、実は内心では決してそんなことはないのです。


頭の中では

・そんなことをしても意味がないだろう。

・まだまだ人間社会で揉まれていない。

・そう考えるあなた自身が常識的ではない。

・あなたには無理かもしれない。

などと、いろいろな想いが脳裏をよぎるのです。


相手のそのままを受け入れる寛容な心を持てるようにしたいと常々思います。


ビジネス社会では、WHY とHOW を考えることで、クリティカル・シンキングを磨くことは大切なのですが、人間関係においても同様であれば、摩擦を生じることが多くなるでしょうね。


受け入れる心を育むことは、人生の究極の目標なのかもしれません。精進します。


ありがとうございます。












 

2017年 謹賀新年!

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新しい年の始めに誓いを立てました。

これまでも現在もビジネスに明け暮れる毎日から少し目線を移し、今年は、自分自身の内心に閉じ込めてきたスピリットを自由に飛翔させてみようと。

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私は若いときにやや不思議な体験をしてから、
肉体と精神は別のものという確信をもっています。

その体験については、不特定多数の方々にいきなりお話しても奇異な目で見られることが多いので、十分に気持ちの通い合う人たちのみに話すことにしています。申し訳ありません。

このブログでは、頭脳と心は肉体側の産物であり、スピリット=ソウル=魂は、自分自身の本質であるということを確信することになったのですが、

これらについて、できるだけ多くの皆さまにそのことをお伝えする役割を与えられたように感じる今日このごろです。

ボチボチと不定期に進めていきますので、ゆるりとお付き合い願えれば幸甚に存じます。

ありがとうございます。